櫻井家のこの屋敷は、元文三年(1738)第五世利吉のとき建てられたままのものです。享和三年(約200年前)に第七代藩主松平治郷(不昧)公を、お迎えしたとき、本陣に当てる為、特に上(かみ)の間や庭園が増(まし)普請(ふしん)されました。
庭を囲む土塀には「御成門(おなりもん)」があり、藩主の御来訪のときだけ開かれる習わしでした。上(かみ)の間(ま)二(に)の間(ま)の縁は上下二段に作られていて「貴人(きじん)廊下(ろうか)」と呼びました。上の段は藩主、下の段は御家来衆が通られたとのことです。
藩主の御来訪は第七代治郷(享和3年)第八代斎(なり)恒(つね)公(文化8年同10年文政2年)第九代斎(なり)貴(たか)公(天保6年)第10代定安(さだやす)公(文政4年)と前後6回にも及びました。御来訪の間は櫻井家の家人は母屋(おもや)を下(さが)り、すべて藩主の人が取りしきり、諸什器は葵紋入(あおいもんいり)の特別なものが用意されました。
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