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金森家 |
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江戸時代に設けられた郷宿※1の1つである泉屋(旧河北家)の遺宅。同家の川北甚右衛門通賀は羅漢寺や五百羅漢の造営に尽力したことで知られています。商家としては熊谷家に次ぐ規模の建物で、寛政の大火※2を免れたと伝えられています。
※1 郷宿(ごうやど)
銀山領内の村々から公用で代官所に来る際に村役人が宿泊した宿。代官所へ提出する書類を作成したり、代官所からの触書を村方へ伝達するなど、代官所と村方とを取り次ぐ重要な役割を担っていた。
※2 寛政の大火
寛政12年(1800)3月24日、大森町駒の足(こまのあし)地区から出火し、大森の3/4を焼失した火事。
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