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石見銀山
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銀山の開発と技術問題解決と発展
江戸時代初期にシルバーラッシュをもたらした石見銀山。その背景には行き届いた管理・経営方法があり、また積極的に技術の向上も図られました。当時築かれた鉱山技術は、現在にも受け継がれています。
鉱床のできるまで
用語解説
鉱石:金・銀・銅などを含む石
鉱脈:地中の割れ目や断層に、鉱石が帯状に形成されている状態
鉱床:鉱石が集まっている場所
 石見銀山には2つの鉱床があります。仙ノ山山頂を境にして東側にある福石鉱床と、西側の地下にある永久鉱床です。

 仙ノ山は約150万年前に火山活動によってできました。そしてマグマに熱せられた地下水が熱水となり、岩石中に含まれる金銀銅を溶かしながら、地中の割れ目や断層に沿って上昇します。それが地表近くのところで冷却されて、金銀銅を含む鉱床となります。 福石鉱床と永久鉱床が形成されたのは約100万年前のことでした。
鉱床のできるまで
 福石鉱床は地表近くに分布し、自然銀を多く含み、他に輝銀鉱・方鉛鉱などが産出されました。また永久鉱床は地表から地下に分布し、銀を含んだ黄銅鉱・黄鉄鉱・方鉛鉱などを産出しました。石見銀山が開発された当初は、良質の銀鉱石を含んだ福石鉱床を中心に鉱石の採掘が行われましたが、次第に永久鉱床にも着手されるようなりました。そのため、銀山では銀のほかに銅の生産も行われました。
福石
福石
黄銅鉱
黄銅鉱
方鉛鉱
方鉛鉱
鉱石の採掘方法
(1)探鉱
 まず鉱床のある場所を見つけます。これを見立てといいます。その手がかりは露頭といい、鉱脈の先端が地表に露出したところを探します。露頭は長い間、風雨にさらされているため表面が酸化して黒褐色に変色しています。この状態を「ヤケ」といい、鉱脈を発見する際の重要な目印でした。

(2)開抗
 開発初期には、地表に現れている露頭を採掘しました。

(3)普請・採掘
 露頭は鉱脈の先頭であるため、開発が進むにつれ鉱脈にしたがって地中を掘り進んで行くようになります。そこで間歩という、鉱石を掘るためのトンネルが作られるようになりました。このように鉱脈を直接掘り進んでいく方法を「ひ押し」または「鉉延(つるのべ)」といいます。

(4)排水処理
 ひ押しという採掘方法は鉱脈を追って掘り下がるため、地中深くなるにつれ地下水が湧き上がりました。作業場所に水がたまると作業ができず、良鉱であってもあきらめなければなりませんでした。 そこで、排水を兼ねた「横相(よこあい)」という水平坑道が掘られるようになりました。
採掘の方法
 この「横相」という方法は、鉱脈の走っている方向をあらかじめ調査し、その方向に対して直角に水平坑道を掘るというものです。
水平だから水を排出しやすいのです。このような方法がとられていたということから、当時高度な測量の技術があったことがわかります。横相は複数の鉱脈に当てることが可能であるため、ひ押しよりも効率がよいという利点もありました。

 石見銀山の場合、通常鉱脈は東西に走っているため、横相は南北方向に掘られています。坑道の掘り方が東西方向か南北方向かで、ひ押しか横相かという掘り方の違いがわかります。
開発の手続き
 一般に銀山の経営形態は「御直山(おじきやま)」と「自分山」の2種類があります。御直山は代官所直営の間歩です。間歩(坑道)の開削や修復などについて、代官所の公費を投入して開発し、山師(銀山経営者)が入札してそれを請け負います。つまり御直山は代官所の公共事業です。 大久保間歩、龍源寺間歩は御直山でした。
龍源寺間歩
龍源寺間歩
大久保間歩
大久保間歩
 一方、自分山は山師の自己資金で開発する間歩です。山師が開発する場合には、まず開発を希望する場所を代官所に届け、その許可を得てから稼業が行われました。これを稼山(かせぎやま)といいます。主に坑道の採掘や普請を行います。 さらに稼業中に鉱脈に切り当たると、代官所に届出を行います。

 代官所役人の立会いの下、一昼夜で採掘される鉱石の量とその中に含有する銀の品位を調べ、それらを基本に一定期間の運上銀(税として納める銀)を決めます。これを値入(ねいれ)といいます。 そして山師の入札によって稼業人を決めました。この落札された間歩を請山(うけやま)といいました。

 民間経営の間歩の名前は、多くの場合間歩の持ち主の名前になっていますが、間歩そのものを所有しているのではなく、鉱業権という権利を持っているにすぎません。ある一定の場所を掘ってもよいということを認められているのです。

 間歩を開発するときは、他人の間歩より26m離さないといけない決まりがありました。
労働組織
 鉱山は、間歩を開発し鉱石を採掘する作業と、掘り出された鉱石から金属を製錬する作業とに分かれています。

 間歩の開発や採掘作業は以下のように組織されていました。銀堀以下の労働者は、山師より山鎚・鉄子・山箸などの道具を借りて生産に従事し、給料として貨幣(銀2匁)もしくは飯米を受け取りました。
鉱山の組織図
 製錬作業は以下のように組織され、灰吹銀や銅などを生産しました。
製錬作業の組織図
 山師によって採掘された鉱石は、銀吹師が購入して灰吹銀を生産しました。そして裏目吹所(裏目吹は清吹ともいう)でさらに精製し、最終的には代官所が銀吹師から買い上げました。
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