寛永4(1751)1歳 |
2月14日 江戸赤坂の藩邸に生まれる。父は六代藩主天隆院宗衍(むねのぶ)、母は側室大森歌(うた)。幼名を鶴太郎という。
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宝暦7(1757)7歳 |
初めて書を細井九皐に学ぶ。 |
宝暦8(1758)13歳 |
3月16日 初めて弓、槍を学ぶ、弓の師は永田五兵衛、槍の師は脇坂十郎兵衛。
5月 9日 初めて刀術を学ぶ、師は一川五蔵。
10月18日 仙台侯二十二世伊達忠山宗村の第九女より子姫(しずひめ)と定婚。
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明和元(1764)14歳 |
11月1日 江戸城初登城。十代将軍家治に拝謁。
12月21日 元服の礼、治好(はるたか)を名のる。 |
明和3(1766)16歳 |
8月5日 江戸を発し、初めて出雲国に出向く。 |
明和4(1767)17歳 |
11月27日 父天隆院致仕により、佐渡守治好に襲封。
12月 7日 名を出羽守治郷と改め、雲州松平家第七代の藩主となる。 |
明和5(1768)18歳 |
初めて正式に石州流茶道を三世伊佐幸琢に学ぶ。 |
明和6(1769)19歳 |
初めて禅を大巓和尚に学ぶ。この頃、無学和尚から「未央庵宗納」の号を授かる。
11月13日 七代藩主として初の出雲国入国。 |
明和7(1770)20歳 |
9月7日 「むだごと」を記す。 |
明和8(1771)21歳 |
大巓和尚より「不昧」の号を授かる。 |
安永元(1772)22歳 |
11月9日 槍の奥秘伝を脇坂十郎兵衛から受ける。 |
安永3(1774)24歳 |
12月9日 伊達姫を迎えて婚儀を挙げる。 |
安永4(1775)25歳
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3月22日 茶事を催す。(現在知られている不昧の茶事会記中最も古いもの) |
安永6(1777)27歳 |
7月22日 家老朝日丹波の辞職を許す。 |
安永7(1778)28歳 |
4月 父宗衍の50歳の賀のため寿像碑を松江月照寺に建てる。 |
安永8(1779)29歳 |
5月16日 日光山諸社堂の修復を命じられ、酒井宗雅はその助役に命じられる。
この頃 家老有澤家に明々庵を建てる。 |
天明7(1787)37歳 |
春 自著「古今名物類聚」(ここんめいぶつるいじゅう)の序を著す。 |
天明8(1788)38歳 |
9月18日 参勤交代の途次、東海道見附駅にて宗雅と行き会い、茶事を催す。 |
寛政元(1789)39歳 |
4月25日 参勤交代の途次、東海道柏原駅にて宗雅を行き会い、茶事を催す。
「古今名物類聚」第1回出版(雑記の部等5冊) |
寛政3(1791)41歳 |
9月6日 赤坂の藩邸で第一子生れる。幼名鶴太郎、のち斉恒(なりつね)。
12月25日 「古今名物類聚」第2回出版(7冊) |
寛政4(1792)42歳 |
この頃菅田庵を建てる。 |
寛政6(1794)44歳 |
9月22日 「古今名物類聚」第3回出版(3冊)
12月16日 少将に任ぜられる。 |
寛政9(1797)47歳 |
夏 「古今名物類聚」第4回出版(3冊)完結。 |
文化元(1804)54歳 |
11月23日 世子鶴太郎元服、斉恒と称し、従四位下侍従出雲守になる。 |
文化2(1805)55歳 |
10月1日 藩主としての最後の参勤。 |
文化3(1806)56歳 |
3月11日 致仕を許され、11の茶室を備えた品川・大崎下屋敷へ隠居する。
3月19日 剃髪して不昧を公称する。
10月27日 大崎下屋敷全体を使った大茶の湯会を催す。 |
文化5(1808)58歳 |
2月27日 退隠後初めての帰国。 |
文化8(1811)61歳 |
2月 「瀬戸陶器濫觴(上中下三巻)」を著す。 |
文化9(1812)62歳 |
10月 京都大徳寺孤篷庵内に大圓庵及びに茶室を起工する。 |
文化14(1817)67歳 |
1月25日 京都孤篷庵に寿像碑と庭園竣工にあたり、大圓庵の茶室披きの茶会を催す。 |
文政元(1818)68歳 |
4月24日 江戸大崎で逝去。法名は生前に自ら定めた大圓庵前出雲国主羽林次将不昧宗納居士。 |