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2010.3.25 |
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ヤマタノオロチ神話の旅 |
ヤマタノオロチの神話は『古事記』『日本書紀』に載っている有名な神話。 出雲地方では数多くヤマタノオロチにまつわる神話が残っています。 マップのスポットをクリックすると詳細へジャンプします。 |
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「日本書紀」では「鳥上の峯」、「古事記」では「鳥髪といふ地」と見え、現在の船通山のことと考えられる。ここはスサノオノミコトが高天原(たかまがはら)から降臨したところといわれている。標高1142mの山で、斐伊川の源流となっている。島根県側の登山道の途中には、鳥上滝(とりかみのたき)があり、ヤマタノオロチのすみかといわれている。山頂には「天叢雲剣出顕之地」の記念碑が建てられている。
【追加写真】 鳥上の滝
【所在地】奥出雲町横田 【駐車場】有 【問い合わせ先】0854-54-2260
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▲ 船通山頂上 |
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この神社は江戸時代後期に創建された神社を、昭和初期に当地出身者が社殿を新築したもので、創建は新しい。しかし境内にはクシナダヒメの石像がある。また境内ではないが、付近にはクシナダヒメが生まれたときに、へその緒を切った竹が成長したといわれる「笹の宮」や、産湯に使ったといわれる池が祭られている。
【所在地】奥出雲町横田 【駐車場】 【問い合わせ先】0854-54-2260 |
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大正末期の農家のたたずまいと生活様式を再現。展示物は、木造や葦の保存館をはじめ、伝習館(納屋)、展示館(土蔵)がある。
【所在地】仁多郡奥出雲町下横田474 【駐車場】有 【問い合わせ先】0854-52-1112
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奥出雲で栄えた、鉄師頭取(たたら製鉄師)の歴史資料館。たたら製鉄の諸用具・文書・鉄師としての有形民俗資料、美術工芸品などを公開している。
【所在地】仁多郡奥出雲町大谷856-18 【駐車場】有 【問い合わせ先】0854-52-0151 |
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斐伊川の支流大馬木(おおまき)川の中流域にある3キロにわたる大渓谷で、大天狗岩、小天狗岩のほか、風化・浸食された奇岩、怪石が横たわっている。その中に、「雨つぼ」と呼ばれる、自然の風雨・激流により、岩に丸く窪みがついた岩がある。ここは、スサノオノミコトが毒酒を盛り、ヤマタノオロチを退治したといわれる。
【駐車場】有 【問い合わせ先】0854-54-2260
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戦国武将“塙団右衛門”を始祖とする櫻井家は、屋号を「可部屋」と称し、藩政には鉄師頭取として奥出雲の鉄山を取りしきった名家。櫻井家住宅は国の重要文化財に指定されている。館内は古文書、美術工芸品などを展示している。
【所在地】仁多郡奥出雲町上阿井1655 【駐車場】有 【問い合わせ先】0854-56-0800 |
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化石や鉱物を通して宇宙の進化と生命の歴史を学ぶ博物館。入口では、アロサウルスとユウオプロケファルスの全身骨格が出迎えてくれる。
【所在地】仁多郡奥出雲町佐白236-1 【駐車場】有 【問い合わせ先】0854-54-0003
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▲ 元結掛の松 |
奥出雲町佐白にはクシナダヒメにまつわる伝承が数多く残っている。 鏡ヶ池は稲田姫が姿を映したと言われる池で、オロチに飲ませた酒を造る際にこの池の水を用いたとされる。 元結掛けの松は、稲田姫が髪を束ねるときに用いる元結(もとゆい)を枝に掛けたため、このように呼ばれたという。 また長者屋敷はクシナダヒメとその両親足名椎(あしなづち)と手名椎(てなづち)が住んだところという。 現地には長者屋敷の碑が建っている。八重垣神社跡は元結掛けの松近くの石段をあがる。現地には「八重垣大神」の石碑が建っている。
【追加写真】 鏡ヶ池
八重垣神社跡
長者屋敷
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【所在地】奥出雲町佐白(旧仁多町)
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奥出雲町佐白の北に八頭(やと)峠と樋の谷という地名がある。八頭峠は「八頭」というように八頭のヤマタノオロチがこの辺りに住んでいたという。また樋の谷はスサノオノミコトにより退治されたヤマタノオロチが、火を噴いたところという。特に看板や見るものがあるわけではないが、佐白とともにヤマタノオロチにまつわる伝承が密集している地域である。
【所在地】雲南市大東町下久野 【問い合わせ先】奥出雲多根自然博物館
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稲田姫の父母、足名椎(あしなづち)、手名椎(てなづち)を祀った二神岩が、万歳岩(ばんざいさん)の中腹にあるが、山崩れで参詣道がなくなったため、天が淵の近くに玉垣を設けてあったが、現在は温泉神社の境内にて祀られている。
【所在地】雲南市 【駐車場】無 |
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クシナダヒメと父母、足名椎(あしなづち)、手名椎神(てなづち)が、ヤマタノオロチから逃れるときに、この地に立ち寄り休息した。その時、父母が使っていた杖を地面に立てたところ、杖から根が出て竹になったと伝える。
【所在地】雲南市木次町西日登
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この淵にはヤマタノオロチが住んでいたといわれている。国道314号線沿いには公園が整備され、案内板なども設置されている。
【所在地】雲南市木次町湯村
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明治39年に建てられ、医師である常松家10代より旧住居を寄贈された建物を施設として開館。館内は、たたら製鉄に見る吉田町の歴史をテーマ別に紹介している。
【所在地】雲南市吉田町吉田2533 【駐車場】有 【問い合わせ先】0854-74-0043
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雲南市木次町西日登の八口神社には木の柵に囲まれた石がある。 これは「印瀬の壷神」とよばれるもので、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する際に、「八塩折の酒」を入れた八つの壺のうちの一つと伝えられる。 |
【所在地】雲南市木次町西日登1524-1 【問い合わせ先】0854-40-1054 |
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河辺神社は雲南市木次町熊谷にある。 「出雲国風土記」によると、久志伊奈太美等与麻奴良比売(くしいなだみとあたうまぬらひめ)の命、が懐妊し生むところ探し求めたところ、「甚(いと)久々麻々志枳谷(くまくましきたに)なり」と言われことから「熊谷」という地名になったとある。
甚(いと)はたいへんという意味で、久々麻々志枳(くまくましき)は奥まったとか、神聖な意味がある。
近くには「熊谷(くまがい)さん」と呼ばれる産湯を汲んだ井戸跡がある。
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【所在地】雲南市木次町上熊谷
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ヤマタノオロチを倒しクシナダヒメと結婚の儀を執り行うため、須我神社へ向かう途中、この地に立ち寄り、婚儀の準備をしたと伝わる。 |
【所在地】雲南市木次町東日登1345
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県道45号線を南下すると、釜石の案内板があり、その後も標示に従いながらすすむとよい。道路から数10m山道を登ると釜石とよばれる大きな岩がある。 これはスサノオノミコトがオロチを退治する際に、「八塩折の酒(やしおおりのさけ)」を作らせた釜跡であるという。 釜石よりしばらく道を進むと、布須神社の参道がある。布須神社は「出雲国風土記」に「布須社」とみえ、山全体をご神体としている。 |
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【所在地】雲南市木次町宇谷
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スサノオノミコトが高天原(たかまがはら)から鳥髪の地に降臨した後、川上から箸が流れ着く。その箸を拾ったのがこのあたりであったという。 現在は公園として整備され、スサノオノミコトとヤマタノオロチが対決した場面を再現した石像と「箸拾いの碑」が建てられている。 |
【所在地】雲南市木次町新市 【問い合わせ先】0854-40-1054 |
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ここは、ひとつの体に頭が八つのヤマタノオロチを退治した後、この頭を埋め、記念として八本の杉を植えた場所といわれている。 現在は木次町里方の市街地のなかにひっそりとたたずんでいる。 |
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【所在地】雲南市木次町里方 【問い合わせ先】0854-40-1054 |
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佐世小学校近くの小高い山の山頂にある。ここはスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した後、スサノオノミコトが佐世の木の葉を頭に挿して踊り、その葉が落ちたので「佐世」というと伝える。
【所在地】雲南市大東町下佐世1202 【問い合わせ先】0854-40-1054
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スサノオノミコトが倒したヤマタノオロチの尾から天叢雲剣を得た。その尾を開き剣を得たのがこの場所であったと伝わる。現地にはそれを示す石碑と看板が立てられている。 |
【所在地】雲南市加茂町三代
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斐伊川と赤川の合流点の近くにある草枕山は「八塩折の酒(やしおりのさけ)」を飲んだヤマタノオロチが、苦しみ草枕山を枕に伏せっているところを、スサノオノミコトによってしとめられたという。 また近くには八口神社があり、ここよりスサノオノミコトが矢を射ったという。
草枕山は度重なる水害のため、江戸時代に山を切り開き川違えが行われ、景観が変わっている。 |
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【所在地】雲南市加茂町神原
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「古事記」によると、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した後、クシイナダヒメとともに住む土地を探してこの地へたどり着き、「気分がすがすがしくなった」として、「須賀(須我)」と命名したという。 そこに宮殿を建てたので、「日本初之宮」と呼ばれ、「八雲立つ出雲八重垣つまごみに 八重垣つくる其の八重垣を」と詠んだことで「和歌発祥の地」とされている。
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